もしかして正解しようと思ってませんか?

もしかして正解しようと思ってませんか?
恐れは勉強に必要ないですよ

正解しようと思ってない?

授業中受け持ちの生徒に対してよく疑問に思うことです

問題の解法を聞かれたときや講師からの質問に

「えっとぉ、ちょっと待ってください、、、それは、、ほ、方程式に代入して、、、いや違う、lkだjfぁdjふぁ」

などと必死になっている生徒が多くいます

そういった生徒に私はこう聞きます

「もしかして、正解しようとおもってない?」

なんでわかってないことを正解しようとするのか

この仕事を初めて十年くらいずっと違和感があったんですよ

それは

”なんで生徒は、自分がわかってないことを正解しようとするのだろう”

”なんで生徒は、正解したいのだろう”

というものでした

当時の私にはその価値観や感覚が全く理解できず、正直そのごまかしにイライラしていた記憶があります

(今は理由を理解したのでイライラしませんよ)

ですが実際はそういった生徒や、もっと言えば社会全体としてそういった価値観のほうが普通だということは結構最近気づきました

さらに言えばその価値観が学力向上の大きな障壁になっていることもわかってきました

何のためにテストや授業があるのか

私の授業で生徒に”解法をしゃべってもらう”というものがあります

その目的は講師側からすると

「どれだけわかっているのか知りたいから」

そして不足分があれば解説を追加するし、わかっていなければ解説します

もちろん正しく満足な解法を生徒がしゃべれば、

「うん 完璧だね じゃぁ次は、、、」と進むことになります

ここで大事な事実があります

それは、”生徒はわかっていないから授業がある”ということです

テストも同様ですね

単純に”今どの程度の理解力なのか計るため”にテストや講師の質問はあるのです

高得点かどうかは正直どうだっていいんです

ホントですよ

もちろん高得点だったり質問にしっかり答えられれば

よく頑張ってるな、努力がしっかりできているなとか考えます

でもちゃんと答えられないときは

「何が原因でわかってないのだろう、どういったことを解説したりアドバイスすればうまくいくようになるだろう」そんなことを考えます

「なんでこんなこともわかんないんだこの生徒は」なんて全く考えませんからね

普段の学習はなんのため?

じゃあ普段のみなさんの学習はなんのためにやっているのか

それはもちろん

?だったものを

分かった状態にするためです

しかし、それが?のままってことは当然当たり前のようにあります

また、わかったつもりでも誤解していたり、理解が不足していることもあるでしょう

それでいいんですよ

できるまで、入試に通用するレベルになるまでさらにまた改めて勉強すればいいんですから(重要)

逆にごまかして”正解したことにする”と追加の勉強が必要なことも

「正解したからこれはもういいや」ってことで対策をしなくなるという致命的な失敗につながります

 

普段の学習では勉強しても、わかんない部分はあるし、完璧じゃなく追加の勉強が必要なことがあって当たり前

暗記しようとしても暗記できないものがあるのもやはり当たり前

つまり、テストや授業ではわからない、理解できない、覚えられていなことがあって当たり前

 

テストや授業ではその”わかっていないこと”をしっかり×をつけてもらったり、指摘してもらったりするのが目的だ

それがあるからさらなる勉強をすすめることができる

言い換えれば

・テストは×をもらうために受けている

・授業は不正解するために(答えられないものを探し、解説してもらうために)受けている

ということです

生徒時代から私は上記のように考えていたのでテストで〇が付くのことは

”なんだかつまんない”

”点数が90点とかついてしまうテストや教科はあまり張り合いがない”

そういう感覚があります

読み終わった小説のような感じですね

練習でズルしているスポーツ選手

例えばサッカーの練習で、キーパーが水を飲んでるときにこそっとゴールをすることで練習中の見かけのゴール数が多い選手がいたとします

あるいは蹴ったボールが防がれたときに「いまのはゴールにはいったよ、だって一瞬ゴールラインこえたからね」などと入ったことにしたい選手でもよいです

さらには「今日は調子悪いから、蹴っても多分入んないなぁ」なんて言っている選手とか、、、

その選手ってうまくなりますか?

試合本番でゴール決められますかね?

というか試合には出れないでしょ 実力ないのバレてますから

サッカーの練習では試合本番並みにキーパーの人が本気で守って防いでくれるからこそ

ボールをはじいて邪魔してくれるからこそ、

「なぜ決まらないんだろう」

「どうやったらゴールできるか」

「ボールにスピードがないからかも」

「もっと正面じゃなく、コーナーにけりこまないと」

など途方もない回数の”失敗”が本番での”成功”につながるのだと思います

キーパーからも「もっと〇〇したら、僕でもとめられないよ」などと助言が受けられます

キーパーがよそ見しているときにズルして決めても、キーパーは助言できない

というかしたくない

練習のときに、シュートを外したくなくて、シュートを打たない選手はいつまでたっても上達しません

テストの点数が高いことが大事

こう考えているなら少し意識を変えましょう

「テストの点数が大事って当たり前じゃん」

「テストは点数が高いほどいいでしょ」

なんて声が今にも聞こえてきそうですが私は全くそうは思いません

どんな点数だろうが”それが今の実力”なんです

体調が悪かった 計算ミスが多かった テストの相性が悪かった

それはすべて”それが今の実力”

認めるしかない

ただ

”今の”ということが肝心なんです

どうせこれから成長するんでしょ?今できなくてもどうせ頑張って克服するんでしょ?

いいじゃないですか ”今”できなくても

できるまでやるんだから

だから今の点数は、次の勉強の指標にすぎません

いずれ過去のものになって笑い話ですよ

正解を求めるのは本番だけ

ごまかしでもいいし、ヤマ勘でもいいしとにかく正解をすればよいテストがただ1つだけ存在します

それは志望校の入試本番です

ここではとにかく正解だけが意味を持ちます

それまでどんな努力をしてきたか

自分がどんな人間か

普段はいい人なのか

そんなことが入試の点数には全く影響しません

とにかく正解の数だけが大事なのが入試本番

この時だけ、ごまかしてもいいから点数を取りに行きます

すべてはこの時の点数のためにあったわけですからこればっかりは

がむしゃら、貪欲、なんとしても点数だけにこだわります

この時の点数を取るためだけに受験生は

普段の勉強で 失敗に失敗を重ね

暗記したつもりでも、しばらくしたら忘れてまたやり直し

どうしても理解できない問題に食らいつき

遊ぶ時間を削って塾に通い、眠い目をこすりながらテキストと格闘し

くじけそうになる自分と戦いながら

弱気な自分を奮い立たせ 歯を食いしばり

入試という見えない敵に不安を覚えながらも真正面から立ち向かい

周りのサポートを受けながら 必死に戦っているのです

その毎日の戦いの中で、確実に少しづつ成長し、いつしか入試をクリアーできる力を身に付けていくのです

 

まとめます

普段の授業やテストでは間違うことで成長していく(堂々と「わかりません」と言いましょう それが”今の”自分です)

入試本番では点数だけが意味を持つ(なんとしてでも1点でも多くとりましょう 全くわからなくてもあてずっぽうで解答を書いてみたり とにかく貪欲に)

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