勉強としようと思うけどやる気が出ない
やる気をだせ!
学校だけでなく、社会の色々な場面で耳にする言葉
実はやる気は出そうと思って出せるものではありません
嫌なことをやるときに「えいやっ!」と無理に意気込むのは逆効果です
嫌な気持ちのまま無理にやった心の代償、
「ストレス」は確実に蓄積されていきます
さらに悪いことに、抑え込んだ嫌な気持ちは
さらに大きくなります
自然とストレスが消えることはなく
無理にやったことに対する嫌悪感は
着実に蓄積し、どんどんそのことが嫌いになります
やる気は実は自分からは出せません
そのように人間の心はできています
例えば漫画本を読もうとするとき
漫画本を読むという「やる気」は満タンで
自然と湧いてきているように感じるかもしれません
しかし、実は漫画の表紙が面白そう
とか
前に読んだ漫画の続きが早く読みたい
とか
何かしらの「外部からの刺激」が
やる気のトリガーとなっています
勉強も同じです
勉強そのものに関するやる気は
自然とは生まれません
何か外部からの刺激が重要です
ただし、外部からの刺激が
やる気の発生を抑制することもあります
これからやることの経験的な嫌悪感
「宿題やるのは大変」
「数学解くのは難しい」
「考えてもわからない」
など、前もって経験している
「大変さ」
は間違いなくやる気の発生を抑制します
だって
「できない」んですから当たり前です
できないことをやることほど
ストレスなことはありません
逆にやる気が出る刺激とは
「このドラマ見たらやる気出る」
「ワンピース見たらやる気出る」
「長渕聞いたら頑張ろうと思う」
など思い浮かぶと思います
さらに
「なんか見たことないドラマだったけど
見てたらなんか面白くて1話から見直した」
とか
「なんとなく立ち読みしてた本が面白くて
買って読んだ」
「ビリギャル読んだら勉強したくなった」・・・・
などの経験も多いでしょう
上記の例はやる気を出す2つの要素
・あこがれる他者(人物像・行動モデル)
・自分の行動から湧く、興味というやる気トリガー
なのです
ドラマに出てくるような憧れの指導者が
身の回りにいる幸運な受験生はそう多くないし
意図的にそういった人物を作るのは難しい
意図的にやれるのは自分の行動です
やる気のない状態で
「数学の宿題全部終わらせよう」
とか意気込んだら、やる気は一気に消滅します
そうではなく、自然な興味がわくよう
「やることのハードル」を下げるのがコツ
できることからはじめる
「数学の宿題やろう」ではなく
↓
「数学の問題眺めてみよう」
や
「数学の問題何問あるか見てみよう」
もっと言えば
「解答見てみよう」
など1分もあれば、苦労せずできることから
行動を起こすことが大事です
読書なら
本を開いてみよう
とか
目次を読んでみよう
とか
図だけ見てみよう
など良いと思います
問題を見ているうちに
「あれ?この問題は解けるかも」
とか
「そういえば授業で似たやつやったな」
とか
「解答見たら、結構簡単かも」
などやる気スイッチが勝手に入ったら成功です
勝手にしかやる気はおきませんが
意図的に起こそうとすることはできます
こういう時の心の敵は
「完璧主義」
です
「宿題完璧にやろう」
などという完璧主義に押しつぶされる
受験生の多さには毎年驚きます
学校では
「宿題はちゃんとやれ」
と言われているから当然かもしれません
半端にやったら褒められるどころか
怒られますよね
努力が大事だとかいいながら、
結局ちゃんとした結果がないと
「ちゃんと努力してんのか」
とか意味わかりません
そんな経験も多いのではないでしょうか
もちろんそんな先生ばかりではないことは
百も承知ですが
そうでない先生が多かったりするのも事実
本っ当によくないことだと
つくづく思います
学校は完璧主義者生産機のような側面があります
数学の宿題で答えなし
自分で考えろ
教科書で調べろ
全員に強制するものとしては
ハードルがべらぼうに高くて苦行レベルです
学校の上位者だけが伸びていく原因ですね
そういったやる気を消滅させるような
完璧主義意識を持ったままでは
勉強は嫌で嫌でしょうがない
出るはずのやる気も出ません
やる気を出したい時は
まず簡単なことからやり始めて
完璧主義を捨て去りましょう
簡単なことをやっても嫌な気しか
しないときはほぼ間違いなく
完璧主義にまみれています
30点でいいんです
いや、5点でもいいんです
やらないより100倍ましです
やった30点や5点が、
次の刺激となりさらにまたやろう
となってどんどんやる
これが当たり前のサイクルです
そう考えて
簡単なことから始めましょう
勉強に関する相談等受け付けています。
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